モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン (講談社現代新書)
本, 小宮 正安
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モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン (講談社現代新書)本ダウンロード - 内容紹介 クラシックファンならずとも、モーツァルトの全作品にはK.**とかKV**などという番号が振られており、それをケッヘル番号と称することはご存じでしょう(たとえば交響曲第41番『ジュピター』はK.551)。誰から頼まれたわけでもないのに一作曲家の作品を調べ上げて分類し、番号を振る──。考えてみれば酔狂なことです。ケッヘルとはいったいどのような人物であり、どうしてこんな作業にとりかかったのでしょうか?クラシックファンならずとも、モーツァルトの全作品にはK.**とかKV**などという番号が振られており、それをケッヘル番号と称することはご存じでしょう(たとえば交響曲第41番『ジュピター』はK.551)。 誰から頼まれたわけでもないのに一作曲家の作品を調べ上げて分類し、番号を振る──。考えてみれば酔狂なことです。ケッヘルとはいったいどのような人物であり、どうしてこんな作業にとりかかったのでしょうか?ルートヴィヒ・フォン・ケッヘルは1800年にオーストリア、ニーダーエスターライヒ州のシュタインという町で生まれました。彼はウィーンで法律を学び、やがてカール大公(オーストリア皇帝フランツ1世の弟)の4人の子どもたちの家庭教師となり、じゅうぶんな財政的な基盤を確立することができました。ハプスブルク帝国はナポレオンに完膚なきまでに痛めつけられ、その後も人びとはメッテルニヒ体制の強権政治の下で生きることになります。軍事的に敗北した老大国の矜持はおのずと文化に向かいます。こうして「発見」されたのが、陋巷に窮死したといってもよいはずのモーツァルトだったのです。ザルツブルクに生まれ、ウィーンやプラハで活躍した彼を顕彰することは、オーストリアの文化的優越性を示すことにもなります。しかし、モーツァルトの未亡人コンスタンツェや少数の友人たちが残された作品を分類はしてはいたものの、楽譜も散逸しており、どれが正真正銘のモーツァルトの作品であるかはハッキリしなくなっていました。ケッヘルはこつこつとモーツァルトの真作を考証、626作品とし、それを時系列的に配列した作品リストを出版しました(K.626が彼の死によって未完に終わったレクイエム)。これこそがケッヘル目録と言われるものです。1862年のことでした。なお、のちの研究によって作品の成立時期が見直されたり、作品が新しく発見されたりしています。どんなに批判にさらされようと、後世の私たちはこの人物の実に地味な作業が造り出した枠組みから逃れられることはできないのであり、その意味でケッヘルこそはモーツァルトを「造った」男と言っていいのです。1877年に死んだケッヘルの人生を通じて大作曲家が「再発見」されていく風変わりなドラマと、ウィーン、ハプスブルク帝国の諸相を描きだします。 内容(「BOOK」データベースより) 凡庸な人物の非凡な試み。あの626はいかにして決まったのか。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 小宮/正安 1969年東京生まれ。東京大学大学院人文社会科学研究科満期単位取得。秋田大学を経て、横浜国立大学教育人間科学部准教授。専門はヨーロッパ文化史及びドイツ文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
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モーツァルト作品には必ず付いてくるケッヒェル番号というものの成り立ちを知りたいというので購入。その目的は達されたと感じるが、本書はそれ以外の要素がずっとやや冗漫に多いので、知的娯楽というよりは学術論文を読んでる雰囲気がするのはマイナス、学術的裏づけにしては、情緒的な断定が多いので、こちらもマイナスで、実際には3.5点というところ。表題に書いたように、ハプスブルグ帝国が数々の戦争を経て、神聖ローマ帝国から、オーストリア帝国、そしてオーストリア共和国へと衰退縮小してゆく歴史を背景として、公務から博物学、文学、音楽とマルチな才能を発揮したディレッタントであるケッヒェルの生涯と縦糸に、オーストリア生粋の才能であるモーツァルトの半忘却から神格化(現在の弱小国の現状に対し、オーストリアの過去の栄光をたたえて精神的プライドを保つ行動、という仮説として、なかなか面白い)に至るまでの歴史を横糸とする歴史物語である。当然、ハプスブルグ帝国の当時の政治(メッテルニヒ)や文化(ビーダーマイヤー)の話も色々出てきて、それはそれで面白いのだが、筆者の分析が他のレビュアーも描かれているように、やや二元論的過ぎていたり、筆の走りすぎで頭をひねったりする部分が少なからずある。ただ、ケッヒェルの故郷の小村まで調査に行ったり、古い資料をあたったりした努力は大いに評価はしたい。それだけに、時に情緒的に断定する部分は残念であり、まさにわからないことはわからないままにする、というケッヒェルがモーツァルト作品目録を作るにあたって取った、慎ましい態度から学ばなかったのか、とは思う。
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