倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本 (講談社学術文庫)ダウンロード

倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本 (講談社学術文庫)

, 藤堂 明保
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倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本 (講談社学術文庫)ダウンロード - 内容紹介 古来、日本は中国からどのように見られてきたのか。金印受賜、卑弥呼と邪馬台国、倭の五王、「日出ずる処」国書、「日本」国号、朝鮮半島と動乱の7世紀、遣唐使、僧侶や商人の活躍、蒙古襲来、勘合貿易、倭寇、秀吉の朝鮮出兵。そこに東アジアの中の日本が浮かび上がる――。中国歴代正史に描かれた1500年余の日本の姿を完訳する、中国から見た日本通史。中国歴代王朝が綴る歴史書の中の日本漢委奴国王金印、邪馬台国、倭の五王、秀吉の朝鮮出兵――中国が見た日本の1500年古来、日本は中国からどのように見られてきたのか。金印受賜、卑弥呼と邪馬台国、倭の五王、「日出ずる処」国書、「日本」国号、朝鮮半島と動乱の7世紀、遣唐使、僧侶や商人の活躍、蒙古襲来、勘合貿易、倭寇、秀吉の朝鮮出兵。そこに東アジアの中の日本が浮かび上がる――。中国歴代正史に描かれた1500年余の日本の姿を完訳する、中国から見た日本通史。 内容(「BOOK」データベースより) 古来、日本は中国からどのように見られてきたのか。金印受賜、卑弥呼と邪馬台国、倭の五王、「日出ずる処」国書、「日本」国号、朝鮮半島と動乱の七世紀、遣唐使、僧侶や商人の活躍、蒙古襲来、勘合貿易、倭寇、秀吉の朝鮮出兵。そこに東アジアの中の日本が浮かび上がる―。中国歴代正史に描かれた千五百年余の日本の姿を完訳する、中国から見た日本通史。 商品の説明をすべて表示する

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ある講演の準備をしていた時、この書を偶々知り、購入しました。藤堂先生は、中国音韻学の権威です。中国音韻学の成果によって、中国正史に現れた日本人の名前が中国の当事者にどのように聞こえていたか、それを正確に伝え、該当する日本人あるいは日本語の名称の発音を知ることができます。これは、私にとってこの書の大きな特徴の一つと思います。この書は、邪馬台国論争が活発な時に、先生が後漢書、三国志、宋書、隋書、旧唐書、新唐書、宋史、元史、明史という歴代の中国正史に現れる我が国に関する記述を、まとめて日中学院で講義されたものを、先生の没後お弟子さん(らしい)武田晃先生、影山輝國両先生が監修されたもののようです。失礼ながら、私は支那学については門外漢ですが、高校時代の漢文教科書に藤堂先生のお名前があったことを思い出し、懐かしく感じて拝読しました。この書を通じて、私が深い印象を覚えたのは、以下のような点です。(時代順)1.後漢書、三国志の伝えるところでは、朝鮮半島南部(現在の韓国に近い範囲)には韓という地方があり、西から馬韓、弁韓、辰韓の三国があった。半島北部は(満州から南下した)高句麗、『 シ歳』(字が出ないためこのような合成表記をします)があった。高句麗は満州にあった夫余の別種と伝えられている。シ歳は漢民族の植民である2.宋(南北朝時代)書が伝えるところでは、当時日本は南朝鮮を支配下に置き、宋からその正当性を認められている当時の南朝鮮は百済(馬韓の後身)、新羅(辰韓の後身)、任那(弁韓の後身)、秦韓、慕韓という国が存在した。日本は倭と併せ、使持節(都督の最高位)六国の諸軍事、安東(大)将軍・倭国王と徐せられた。興味深いのは、馬韓の西海中に大島があり、この住民は韓語を話さず、上着だけを着ているという。地理的には済州島らしい。3.隋書、新唐書には、百済は夫余の別種であり、新羅は王族は百済の出身、国民は夫余から来たと書かれている新羅は唐の時代に、王族は『金』姓を名乗り、貴族は『朴』姓を名乗ったという。民衆は『姓はなく、名のみ』であるという。そうすると、北朝鮮の『大将軍』は唐以来の、新羅王の末裔であり、韓国大統領はそれに従う新羅貴族の末裔という奇妙な(?)ことになる。4.宋(元の前の)史では、日本の歴史や生活がよく伝わっていたようで、太宗は日本の政治体制をしきりに羨ましがっていたという天皇が万世一系であること、貴族が代々世襲であることであるという。彼らにとってみれば、そのような仕組みが、国の安定をもたらすものと考えたらしい。私は、これまで、そのようなことを考えたことはなかったが、日本の仕組みは、外国から見れば大変価値のあることかもしれない(天皇家はともかく、私が、貴族の代々世襲制をよしとしているわけではありません。念のため)5.同じく宋の時代に、我が国から、既に中国では失われてしまった書籍を献上したというおそらく4.のような体制が、このような文化の保存・継承を可能にしたものであろう。6.元史の伝えるところでは、フビライは『遣唐使廃止以来、日本との国レベルでの付き合いを復活する』ことを目指したように見えた元史の文言を辿ると、好戦的な箇所は見られないように私は思った。『好を結ぶのは聖人の教えでもある。干戈は交えたくないもの』というくだりは、何回かの文書を参考とすると、脅迫と断定するには如何かとも思った。当時(元に亡ぼされた)高麗の趙彜等が日本のことを言及したので、それに従ったものらしいが、余計なことを進言したものである。「オイラも亡ぼされたのだから、日本も道連れに・・・」と思ったのではあるまいが。7.明史では、洪武帝の(今度は)脅迫に対して、懐良親王が徹底して言い負かしたこと、倭寇の武力の凄まじさ、朝鮮に侵入した豊臣軍の強さと軍規の厳しさから『向かうところ敵なし』の状況になっていることを記してあり、仰天したほかにも多々感じることの多い、教えられることの多かった書である。是非皆様にご高覧されることをお薦めする。

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